Wine * Essays

 

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■ 2つの支配  <UP>
10/03/2004

  

Restaurant du Port にて 撮影

公道グランプリコースに続いたホテル・ドゥ・パリのエントランス前でハンドルを右にやり、そのパドルシフトのオープンカーを深夜のグラン・カジノにつけた。ここに到達するまでの間、プール・コーナーからラスカス、松並木のスターティング・グリッドを超えリバージュを駆け上がる、この移動をもたらしたエンジンの後方からの唸りに、五感のいくつかは刺激されたはずだ。

けれども、今夜のサンテミリオン・グランクリュの刺激、それは目をつむる必要をまるで感じないまま無防備に心を開放してしまうほどの冷静でおおらかな香りと、若さとしたたかさをあわせ持った多重のフルーツを感じさせる味わいの葡萄によってもたらされたのだけれど、その刺激に存分に支配されたという記憶の圧倒は、ディザートを終えてからここに至る贅沢なドライブを経た後(のち)にすら、ただただ一方的に興奮の主体であり続けた。

Restaurant du Port にて Chateau Haut Larpe 99 を抜栓。

ここに貴女が同席したならば、2つの支配から逃れることが不可能であろうことを断言する。

一つはこの赤い液体の支配。

そしてもう一つは6000マイルを超えて今も存在する支配。

 


■ 特別な快感
01/02/2004

     

 

 

 

その封筒に入ったクリスマス・カードは直接手渡されたもので、それは早朝のフライトによって、カードを書いた本人を連れ去ったと同時にあの地に運ばれたものだが、

「渡すのを忘れていた」と言ってプレゼントと一緒に差し出されたのだけれど、その忘れていたとうのは、ちょっとしたウソ、というか、実際ウソではなく、「手渡す」行為そのものは、あの濃密な時間のどこのフレームで行われたとしてもふさわしかったはずで、そうゆう感覚の共有が「渡すのを忘れていた」という表現になったはずだ。

昼時のプレデンシャル・ランジでフランスから持ち帰ったPhilippe Prieを開けさせた。

「持って帰っても意味が無い、ここで開けましょう。」

という提案について、これほど圧倒的に綺麗な意思決定って無い、と思いながら、白葡萄といちごの香りを回想したい衝動にかられる。そしていま、もう一度そのクリスマス・カードを封筒から取り出した。

香りがやってきた。あの香水の香りだ。

たとえば、数十時間を一点に集約してしまうような、そんな行為が存在するのだろと、なんとなく知っているような気はしていた。それが、たったいま現実となった。

意識が拘束される行為を受けとめた。

特別な貴女からもらった特別な快感。

 


■ 言い切るべき
19/11/2003

 

Photo : Sakura Kashiwagi

 

この夏訪ねたあの地を何年も以前に出発したこのボトルは、移動の経路を異にしながらも、今夜ここでめぐり合うことになっていたのかと思うと、限りなく愛しい。  

それは新しい出会いではなく、再会でもない。ここにたたずんでいることそのものが、オレにとって自然ではあるけれど、その正体のすべてを知っているわけでもない。把握できるわけもない。

Chateau Mouton Rothschild '97 、Taisukeの手により抜栓。この液体をカラダへ注入して、いまここで感じることがすべてだと言いきるべきだ。

 


■ スローモーション
20/09/2003

 

 

テスティングの前に驚かされたその葡萄の圧倒的な濃度は、ボトルの口を出てグラスに注ぎ落ちる最初の数滴があたかもスローモーションのように弧を描いて、そして一見Wine意外の液体かと見誤るほどのダークな紫によって、オレの網膜を刺激した。

そのビジュルな刺激=(イコール)期待は、いつものテスティングにあっても、落ち着きはらった森を想像させる香りと、口に含んだ0.5mlがその何倍もの質量であるがごとくずっしりしたボディーによって裏切られることはなかった。

Chateau de la Roque ’99 

地下室の残り2本は、当然最上級の肉料理を待つことになる。

 

 


■ 完結
20/05/2002 

 

 

 

この組み合わせはオレにとって、すでに完結したバランスの上に存在していて、さらに超越出来るものの存在を知らない。

この存在はオレにとってはそうであると強く言いたい。

だから、この組み合わせが正しいか?などと、多くのヒトに向けた質問の答えを求めないでほしい。

この二つの葡萄から、天空の銀河をのみ込むほどの、複雑で雄大なスケールを享受するための必要なファクターは、良質なカーブの助けを借りて、この特に厚手に作られたガラス製の入れ物の中の葡萄に対し、途切れなくゆっくりと平和な化学変化を今後20年位継続させてやることであるが、それが、おれがさらに充実した時間を重ねることとパラレルに存在してゆくことが不可欠だ、とあらためて認識した。

優れたWineの若いビンテージを味わう個人的意義は大きいと断言する。

ANTINORI TIGNANELLO '97, Chateau Mouton Rothshild '94。(TIGANELLO はTaisukeのハンドキャリーによる。)

 

 


■ 向き合える
04/05/2002

 

 

 

 

やっぱりこの枯れた懐かしさは、唇の両端の内側にうっすらと葡萄をまわして味わうべきだ。

キャンテーのとがった酸味も、ストレートに高速で飛び込んでくるフルーツもない。そこには「アタック」に類する言葉で表現されるような刺激は無い。

でも、その基礎を成していた刺激の類が、時間の流れによって丁寧に丸みを帯びたことを、この Castello di Verrazziano Chianti Classico Riserva'85 は伝える。

その丸みの大きさは、自分で掌握できるサイズだから、このサンジョベーゼには、気負いなく向き合える

 


■ 裾野は複雑
16/03/2002

 

 

唇の両脇端から葡萄の木の枝味が感じられる。その時は、空気を吸っても、吐いてもだめだ。ただ唇の両脇の少し内側にこの液体を、ごくうっすら溜めて感じるといい。

相当に酸味は強い。その酸味のピークは高いのだけれど、裾野は複雑に広い。時間が経つにつれ、そのピークがいくつかの異なった酸味の趣きに変わってゆく。あるピークは、別のピークと重なり、覆われ、見え隠れしながら、裾野へ消えてゆく。

13%とある表示が示すよりも、随分と度数が高く感じられるアルコールの刺激が、よい意味アクセントとなって、一飲み一飲みに刻みが生じ、その変わりゆくピークにリズムが乗る。

この表情を楽しむには、2人で飲まないといけない。1人では1本というボトルは大きすぎ、3人では小さすぎる。これは多くのWineで感じるコトだけれど。

ボトルエンドでは、タンニンが効いて、さらにオレの好みの領域かと思ったが、さすがに終盤は力不足。

 

 


■ 
25/12/2001

 

 

 

 

Chateau Mouton Rothschild '80

極めてスムースでかつ優しい。極めて複雑でかつ雄大。相反したものどうしの同時存在を許容することは、矛盾など超越して宇宙を感じるに至る。

 

 


 すがすがしい
25/12/2001

 

 

 

 

 

 

LA VITE LUCENTE '97。MARCHESI DE FRESCOBALDI と ROBERT MONDAVI の偉大なる大陸間合作 LUCEの2'nd。

2'ndとは言っても、方向性的には本格派ネライ。あそんでいないのは、このダブルネームのプライドか。

オープニングの硬さが少しとれタンニンが効きだすと、もともとかろやかな酸味がいっそう効果的に下の付け根を刺激する。この刺激の存在がもし無ければ、このWineは産地不明の単なる出来の良い2'ndと成り下がるだろう。

スケールが大きくないことが、オレ好みだ。すなわちこのWineには優しさが無い。歩み寄ってくる広がりを持たない。自分の存在を気付いてくれればそれでいい、という淡々とした葡萄だ。

だからボトルエンドに向けての華など無い。それでけっこう、と言いいたい。すがすがしい。

 

 

 

 

 

 

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