憂鬱DIARY Vol.7 Photographs depends on my feeling of today. |
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■ 攻めて 09/06/2002
ロシア戦だ。
オレはたぶんライヴでは見ないとは思う。やはりサッカーファンではないのだな、と思う。
しかし、中田をはじめ海外で活躍する選手とニホンで活躍する選手とから成るニホンナショナルチームが、他国のナショナルチームに挑むというコトには特別な感情をもたざるをえない。
オレも今のニホン社会とだぶらせて考えてしまう。
ディファンスの選手も攻撃を担った選手も、とにかく集中してほしい。今のニホンナショナルチームは、一人一人の選手が集中して、自分の持っている力を発揮すれば勝てる。
攻めてほしい。守って守ってカウンター1発、という実際の力量が不明確になってしまいやすい方法を多用しないでほしい。インスピレーションとかイマジネーションという言葉が当てはまる攻撃をしてほしい。
...インスピレーションとかイマジネーションという外来語を使うと、ソフトなイメージになってしまうが、インスピレーションとかイマジネーションという言葉は、激しい・激しくないとか、険しい・険しくない、といった尺度は含まない言葉だと思って使っています。
■ 08/06/2002
そのドリカムのライヴ↓が、それはしみたんですよ。大阪のライヴだと教えてくれたのりこさん、Thank you。
おお・ライヴじゃ〜、てんでJ・POPライヴものを二十何枚買っちゃいました。いつ見るでい!?
まあ、コレだ!ってのそうそう無いことは承知の上だけど。
今週月曜から昨日金曜日までの間、夕食のお誘いを7件いただいた。5回しか夜は無いし、いらん付き合いは断ることにしているがそれでもどうしてもと言ってくださる方もいるから、付き合うコトとなる。
...ニホン人からの誘いを断るのはすごく難しい。特に年長者からの誘いを断る作業はとてもやっかいだ。断るというコトは誘ってくれたヒトに対し、オレがネガティブな意識を持っている、という理解にニホンで至る。
オレはご一緒できません、と理由を付けて断り、そしてあえてすみませんとは言わないようにしている。自分が悪いと思っていない時に謝ってはいけない。
反対に相手にすみませんを連発されると、オレは大きな違和感を持つ。
それにしても・だ。オレから発信する情報量と、夕食をご一緒した方から頂戴つかまつった情報量のギャップ(差)ってどう考えればいいのか。
夕食は誘われるモノではなく、誘うモノ・だ。
■ もうこれ以上ないという表現者 07/06/2002
クルーザーを飛ばして深夜・海路帰宅。
新しいDVDプレーヤーが届いたので、買っておいてずっとそのままになっていたドリカムの95年ライヴを見た。
この海沿いのオープン・エア・ステージはどこだろう。夕日をバックに歌う吉田はほんとうに、もうこれ以上ないという表現者だった。
だれかの想像が、目に見えるカタチと音という現実としてこのように結実する。 こんなニホンが好きだ。
■ 障壁 02/06/2002
E-100RSのマクロコンバーション・レンズ
をテスト
Hong KongのTVチャンネルからはW/Cカフェみたいなところから、知らないタレント(おそらくHong Kongでは有名)が出演しての馬鹿騒ぎ番組が放送されていた。さっきまでBBCの結果報道番組をみていたものだから、余計に苛立つのかもしれないが、この馬鹿騒ぎ番組はどのような意思・意欲を持って製作されているのだろう。
BBCの結果報道番組は、おそらく世界の英語文化圏に放送されることをふまえて発信されている。一方、Hong Kongの馬鹿騒ぎ番組はHong Kongにヒトのみに向けて作られている。
もし世界中のヒトの多くが、この馬鹿騒ぎ番組を語学的に理解することが出来て、しかも世界の広い範囲に放送されることが前提とされていたら、はたして製作者このような馬鹿騒ぎ番組を好んで制作するだろうか?
世界の多くのヒトが注目するイベントがニホンで開催されていても、ニホンのTV番組は世界に放送されない。ニホンのメディアはあたりまえだがニホン語を使っている限り、ニホン人以外のヒトにさらされるコトは無い。
きっとニホンでも、W/Cをネタとした馬鹿騒ぎ番組や、馬鹿騒ぎはしなくともサッカーとは無縁のタレントが出演してのスポーツニュースと名付けられたバラエティー番組が多く製作・放送されているのだろう。
製作者やその企画に携わるヒトにとって、「カネになるマーケットが存在しているのだから」というお題目があるのだろうから、そいつらがけしからんとは言わない。しかし、あんあたら、それが本当にあんたらが作りたいモノなのか?と、他人ながら心配になったりもする。そしてそれ以上に、ニホン語に守られているニホンのメディアのグローバル化は、もしかしたらまったく進捗する可能性の無いモノであって、それがニホン社会のグローバル化の大きな障壁になっているのではないか、とオレも思う。
では、また。
■ 01/06/2002
もうたぶん今後こいつらと対戦することは2度とない、ということをモチベーションのバックグラウンドとして集中した。今日は自分のいまの実力を考えると100点のリターンエースを3本決めた。3本ともフォアのダブルハンドでのストレート。3戦1勝。
今夜は、バーヴ・クリコ、サンテミリオン2種(1本はグラン・クリュ)、リオハのテンプラニーニョ、バローロは90年でした。海岸の道をタクって帰宅。
■ 存在意義はない 30/05/2002
昨日はCITI BANKのACTIVE USというファンドを買ってしまった。買ってはいかん商品だ、これは。オレのテクビカだ。
リッツカールトン・ホテルの前を歩きながら村上(村上龍)とトルシエの対談を読んだ。(オレは出かけるときによく本を1冊かかえて行く。)最初の何行かを読んで、すっかり打ちのめされた。
ずっとここitkでおれが明らかにしたかったことが、この対談でさも簡単に明らかにされてしまったように思った。
対談の内容は、ここで数行で表したくないので本の名前を記します。
MUNDIAL 2002世界標準を超えて 村上龍 光文社
リッツカールトン・ホテルの先のスタバで続きを読みたかったが、家での打ち合わせを控えていたので、歩きながら読み続けた。
以前に、ここへ来てくれていた女性から、村上に似ているとコメントされたことがあった。はっきり言っておれはむかついた。おれはおれであって、他人に似ていると言われたくない。
用心深いおれは、村上の小説やエッセイのようなもものを23冊読んだ。
そして、この本は24冊目。
itkの存在意義はない。今日の結論だ。
■ 28/05/2002
先週はニホンでした。
昨日、そして今日と処理しなくてはならないコトが多く、それらに集中しているものだから、ココに書くコトにアタマを切り替えられません。
友人(オンナ)が、胸をナイフで突いて病院に運ばれたコトを聞いた。
W/C直前。たぶんおれはニホン戦を見ないだろうと思う。ニホン代表はがんばらなくてもいいから集中してほしい、とおれも思う。
■ パラレルに存在 20/05/2002 (夜)
この組み合わせはおれにとって、すでに完結したバランスの上に存在していて、さらに超越出来るものの存在を知らない。
この存在はおれにとってはそうであると強く言いたい。
だから、この組み合わせが正しいか?などと、多くのヒトに向けた質問の答えを求めないでほしい。
この二つの葡萄から、天空の銀河をのみ込むほどの、複雑で雄大なスケールを享受するための必要なファクターは、良質なカーブの助けを借りて、この特に厚手に作られたガラス製の入れ物の中の葡萄に対し、途切れなくゆっくりと平和な化学変化を今後20年位継続させてやることであるが、それが、おれがさらに充実した時間を重ねることとパラレルに存在してゆくことが不可欠だ、とあらためて認識した。
優れたWineの若いビンテージを味わう個人的意義は大きいと断言する。
ANTINORI TIGNANELLO '97, Chateau Mouton Rothshild '94。(TIGANELLO はTaisukeのハンドキャリーによる。)
■ 気だるさもいいか 20/05/2002
飛ばしぎみの明るい画もたまには...
リビングにて自然光
昨夜はいつもにもまして沢山の花をもらった。飛行機で駆けつけてくれた7人を含め、30何人ほどの方が集まってくれた。ニホンから招いたKawai chefの料理、きっと楽しんでもらえただろう。きわめつけはローストビーフ・ポルチーニ茸ホワイトソースかけ。
パティーの次の日の午前中は、パーティーでいただいた花をながめる。ホストを務めた翌日だから、それは相当に消耗しているのだけれど、花を見ていると、この気だるさもいいか、とも思うようになる。
Penfolds Koonunga Shiraz Cabernet '00, Penfolds Rawson's Petreat BIN35 '98, Bodega Norton Cabernet sauvignon '95, Marques de Monstrol Masia Monistrol '00, Sommelliers '00, Font-Sejour'00, Chateau de Taba '00, Chateau D'Drcins '99, Cote de Beaune-Villages '97, Ravens Wood Merlot '97 全部赤。
■ 好きだけど曖昧 14/05/2002
スパークリングワインはSIR JAMES
Parisのガーゴイルくんも一緒に
Renaは「思い出が作りたかった」と言った。
こうしてRenaが言った言葉を思い出したわけだから、これも思い出の一種か。
思い出と言うと、なんだかセンチな感じがつきまとったりするし、記憶というものの中に何か特別さをいっしょに埋め込んだような響きを伴う。
そうだ、わざわざその特別さを自ら埋め込んだその作業もひっくるめて「思い出」っていう記憶が生成されるから、だからオレはその自分の特別な作業が伴っていることの付帯が、どうも好きでなく、だからそうだ、単に「記憶」と言いたい。
その市川さんのギター、実は「市川くん」と言っている。市川さんのプレーそのもの:映像+音が「市川くん」という記号性をともなって存在しているので、市川くんなのだけれど、その「市川くん」という記憶って、もうそれは大切なものだ。
では「市川くん」の記憶は何なんだ、と考えると、そりゃ映像+音にほかならないのだけれども、すごく曖昧な映像+音だ。曖昧だ。好きだけど曖昧。
感じ入ったWineの記憶って、どうゆう種類の記憶?
オレにとって「市川くん」と、同じカテゴリーの記憶だと思う。すごく曖昧な映像+味の記憶。好きだけど曖昧。
MONTESSODI '98 CASTELLO DI NIPOZZANO FRESCOBALDI あと3年だけでも待ちたい。けどそれにもましてとてもよかったよ。どうよかったかなんて曖昧だけど、好き。
そして感じ入ったSEXの記憶も、「感じたけど曖昧」。
■ 『恋人と来ないで』 10/05/2002
市川祥司 さま
海外で市川さんのギターにコンタクト出来るとは。うれしかった。時折、由美さんの歌を口ずさみながらの演奏。石井さん(ベース)とツアーをまわられていたとき(随分むかし...)、心ときめいた『恋人と来ないで』の市川さんのソロを思い出しました。
ありがとう。
Taka
ギターを取り出して、そのソロを弾いてみた。キーを忘れていた。指はその大好きなメロディーラインをおおむね覚えていたけど、うまくは動かなかった。
市川さんのこのソロが、なぜ由美さんの曲に最上の彩りを加味するものとなったのか。それはあの時もきっと、『恋人と来ないで』の由美さんと石井さんのデュエットを市川さんもかみしめるように口ずさんでいて、そしてソロへと入っていったからにほかならないと想像する。いや、きっとそうに違いない。
今夜は、右手の指先がひりひり状態だ。
■ 07/05/2002
絶対にやってはいけないコト:自分に絶対かなわないとわかっている相手をこてんぱんにするコト。 3年半で最低最悪の日だ。
正しい、正しくないの問題じゃないから、オレは詫びない。
ヤツにすりこまれた記憶が消えるのなら、オレはなんでもする。
大切なものを壊してしまったよ。
こんな自分をどうやって許容したらいいのか、わからない。
■ ご立派 05/05/2002
さんぽで会った、かわいいヤツ
町田市出身のイナカモノ会社avexがコピーコントロールCD(CCCD)をリリースしたのは周知。 このカウンターとして、ソフトバンクパブリッシングのPC USER誌 5/8・24号でCD-RWでの読み出しテストの結果を公表している。
かいつまんで言うと「読めるタイトルも、読めないタイトルもあり、それはドライブの銘柄によってもまちまち。また、読めたり読めなくなったり挙動が不安定な場合もある。」とのことだ。
このCCCDはCDのレッドブック(規格書)に準拠していないため、一部のCDプレーヤーで再生出来ない場合があるそうだ。この手の問題に対し、イナカモノavexは一切のメディア交換/返金を受け付けないことを意思表示している。
イナカモノのこのあさはかな決定は、著作権保護という名のもとにされたのだと想像する。つまりは音楽製作者の利益を尊重したのだ、ご立派。
採用された技術によって生じる買い手の不利益に不公平が生じることを、リリース時点で明らかに知りえていた疑いのある、このイナカモノ会社の決定は、買い手(音楽を買うヒト)の不利益を増大させたとitkは判断する。
itkはCCCD対応メディアの値下げを要求する。
■ 向き合える 04/05/2002
ダイニングにて、クロを基調に
やっぱりこの枯れた懐かしさは、唇の両端の内側にうっすらと葡萄をまわして味わうべきだ。
キャンテーのとがった酸味も、ストレートに高速で飛び込んでくるフルーツもない。そこには「アタック」に類する言葉で表現されるような刺激は無い。
でも、その基礎を成していた刺激の類が、時間の流れによって丁寧に丸みを帯びたことを、この Castello di Verrazziano Chianti Classico Riserva'85 は伝える。
その丸みの大きさは、自分で掌握できるサイズだから、このサンジョベーゼには、気負いなく向き合える。
■ 期待 30/04/2002
キッチンにさす光で撮影
どうゆう時に期待が生じるのだろう。
例えば友人が新しい仕事を始めるときなんかに、「成功を期待しています」なんてプッシュを入れるときがある。しかし、期待とは、将来なにがしかの利益やプレジャーが自分にやってくるコトを当てにすることだと思う。友人に「成功を期待しています」って言うのは間違っているかもしれない。まあ、その友人が儲けたあかつきに一杯ごちそうになることを期待するというのなら、間違ってはいない。
期待の大きさってナニで決まるんだろう。その将来もたらされるであろうなにがしかの利益やプレジャーが大きいと予想すれば、期待は大きくなる。その期待をもたらした行為に対する努力や、かけた金額が大きい場合、さらにその期待は膨らむ。
じゃ期待が裏切られるってのは、どうして生じるのだろう。
期待をするからいけない、はじめから期待をしていなければ、期待を裏切られるコトは無い。そりゃわかってるって。
なんでここまで長々書いてきたかというと...いつもなら...Castel Giocondo Brunello di Montalchino Frescobaldi'96を抜栓、どうのこうのと始まるわけだが、こいつには「期待を裏切られた」と感じたからだ。そして、オレはなんでこのWineに期待をしていたんだろう、と思った。
ああ、なんとネガティブなWineの味わい方。今日は、どうゆうふうに「期待を裏切られた」と感じたか書く気が出ないので書かない。でも、まだ期待をしているんだよな、こいつに。もう一度こいつを飲んでみたい。
Tisukeも同じビンテージを持っている。今回開けたのは、メルシャンが入れたものをエノテカ品川店(いつもの村上さんのトコロ)で買った。Taisukeにプレゼントしたものは、たしかデュッセルの空港で買った。保存の差ってのだって考えられる。
ItkはWine評価サイトではないし、オレもWineを評価するためにWineを飲んでいるわけではないから、絶対的な評価を下すスケールを持たない。飲んだ時の環境をまじえて、そのWineから得たプレジャーを書きたいと思っている。Castel Giocondoについては、次に開けた時にあらためて書きたい。
「期待をするコト」がよいコトなのか、悪いコトなのか。どうもよくわからないが、「期待を裏切られた」からと言って、今日このサンジョベーゼに失望したわけではない。
■ 安心 29/04/2002
すでにドラゴンボール66MHzじゃ限界、でも...
new sony clie : カメラ付き
バックはリビングの照明
ドイツ銀の邦人トレーダーお二人、野田さん、鎌田さんからお誘いをいただいて夕食。円経済・危険度大で意見一致。
いずれインフレに反転する。その時ニホン人の経済活動参加者の中で一番「損」をこうむるのは、ニホン企業に勤める給与所得者だ。(いま、サラリーマンと書こうとして、やや考えて、やめた。サラリーマンというくくりはあいまいだし、どちらかというと男性に限定されて、かつオヤジを想像する。)
彼らはかつて米・ヨーロッパで暮らし、そして現在はニホンというカテゴリーの外で暮らしている。というか、ニホンというカテゴライズを必要としていない。たぶんニホンなんか消滅しても一向にかまわないヒトたちだ。加えて、彼らの年収は、同年代のニホン企業に勤めるヒトよりかるく一桁は多いはず。
そんな彼らが、ニホン企業に勤める給与所得者たちの利害について考えているというコトが、オレには少し意外だった。
帰りのタクシーの中で、オレはなんでしばしばニホンに対して苛立つのだろう、と考えた。ニホンを心配(心配なんて言うとおおげさ、オレが心配したってまったくどうってコトはない)することで、母国(ああまた、母国なんて背中がムズイ言葉を書いてしまった)を思い、なにか思いをよせるコトで母国の存在を再認識して、そして安心したいのだろうか。
もう苛立つコトから逃れたい気持ちはある。
...野田さんとガールフレンドの話し。「寝技に持ち込むタイミングが掴めないんだな、最近。」「お前はどうしたいんねん(ちょっと関西弁)と迫って、帰るって言ったら帰せばええねん(あれ、ちょっと正確性に欠ける>関西弁)。」「sexする(断定)。て言えばいいじゃないですか。パンツを脱がさないで、ヨコパンから思いっきり突っ込んでやると、一緒に興奮しますよ。」
itk Web Master Taka Taka0077@hotmail.com |
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