ファック・ミー・テンダー
大泉りか(著)
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シャルル・ド・ゴール空港のウエイティング・ラウンジで見つめた
黒のロング・コートのオンナを
ベッドで押さえつけるイメージをした後に搭乗した
エールフランスのヨーロッパ域内線で
『ファック・ミー・テンダー』を読み終えたのだけれど
主人公の二人、リカとミキのコトを
あの黒のロング・コートのオンナに伝達することが
オレには出来るのだろかと考えて
混乱した。
それは
『姦りたいんでしょ?姦れば? そのかわり、ひとりずつにしてよ。
何回やってもいいからさ。』
(本書:203ページより)
というありさまを、あのオンナの脳が許容して
そして理解に勤めるだろうかというコトではなく
それは
『絶望も焦燥も悔しさも、人ごみの中ならごまかせる。』
(本書:210ページより)
をフランス語に訳すと、何と言えばいいのかというコトでも当然なく
『お前が思っているほど、俺も世間も、お前の裸を買うやつらも
バカじゃない。バカなのはお前だ。』
(本書:218ページより)
が、単純にオンナを見下げたオトコの台詞となってはしまわないか
とういうコトでもない。
『ファック・ミー・テンダー』に現されたものは
リカとミキ2人と街との関係、その速度感だ。
街はそこにある。
そしてそこに生きるリカとミキは
時間とか空気とか
それとか他人とかをを媒介として
街との関係を持っているのだけれど
リカとミキの疾走は
時間も空気も他人も移り行くその速度の上に描かれる。
これが『ファック・ミー・テンダー』の速度感だ。
この速度感は、読み手が各々独立に感じるものとなるはずなのだが、
だってアナタ自身の毎日も、ある速度を持っている。
そしてある速度を持っている読み手アタナから
ミキとリカの速度を感じようとしたとき
時にそれは相当に高速だ。
だから美意識や
場合によっては倫理感ですら一点にたたずんでいるようには見えない。
主人公の二人、リカとミキのコトを
あの黒のロング・コートのオンナに伝達することが
出来るのだろうかと考えたオレの混乱は、コレです。
黒のロング・コートのオンナにもオレにも
一点にたたずんでいるように見えない。
決定的なこと、それは
あの黒のロング・コートのオンナはパリに住んでいる。
パリは都会だ、しかしリカとミキが生きている街ではない。
そしてリカとミキが生きた街、そこにオレは住んだことがある。
注)「リカとミキの疾走」 という表現は
作者の本書紹介から引用しました。
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